2020年3月2日月曜日

景気について思うこと

不安な情報が多く人と物の行き来に制限がかかる以上、経済活動は鈍くなり、当然景気は悪くなる。しかしこの「悪くなる」という表現にはひっかかるものがある。

景気が悪くなるから仕事がなくなるのか?というと必ずしもそうではないと思う。
私は、それまでとはゲームのルールが変わるのだと考えている。
そしてその新たなルールの元で、いち早く対応できたものが成長を勝ち取る。

デフレだったら安価に提供できる企業は強いし、原材料不足になれば販売力よりも調達力がものをいうようになる。顧客も、新しいものよりは既存の用件をより安くできることを求めるかもしれない。顧客の優先順位が変わるということだ。

なので、変化を読んで必要とされるサービスやソリューションを素早くリリースしていくことが必要であって、景気が悪くなったから仕事が減りましたは思考停止だと思う。

2020年2月27日木曜日

親友のこと

あいつについて、何か言おう、何か書こうとは思うものの、そうすることでその何かは私の中から消えてしまうんではないか、そんなことを思っています。会社から正式にお知らせを出したことは一つの区切りではあり、私自身は気持ちの整理がついているつもりでしたが、やっぱりそんな簡単なもんじゃないですね。
正直「なんでやねん!」ってツッコミたい。

ツッコミで思い出したけど、大阪出張ついでによしもと新喜劇を一緒に観ました。辻本座長回でとてもおもしろかったのですが、私が
「すっちーもおもしろかったよ」
っていうと、あいつは決まって
「自慢するならすっちーが観れるときに大阪出張を企画してくれよ!」
って言ってきました。でも出張のタイミングってだいたいバタやんの回なんですよね。
別にバタやんがつまんないって言ってるわけじゃないです。

あとはなんだろう。だいたい酒飲んでるか、カラオケで歌っているかっていう記憶が多いですね。たぶん通算で100回くらいは一緒に飲んだんじゃないでしょうか。数え切れないくらい飲みに行った中でも、よなよなエールでおなじみのヤッホーブルーイングさんのビアフェス「超宴」に2年連続で一緒に行ったのは楽しかったですね。ビール・つまみのパシリじゃんけんとかしましたね。酒飲んでるけどやってることは中学生みたいな感じです。
いつかこんなイベントやれたらいいな、っていう話もしました。

仕事の思い出もたくさんあります。どちらかというと私が頼ることが多かった。
年イチでやっているイベント「Developers.IO」ですが、2コマぶちぬきセッションっていう無茶振りに応えてくれました。思えば、あのセッションでDevelopers.IOのトーンが決まったのだと思います。技術者がガチな技術ネタのために集まって盛り上がる技術の祭。喋る方もガチだから聞く方もガチで来てほしい。好きなことにガチで取り組むから楽しい。そんな感じです。
マーケティングとしては集客を優先すべきではと迷うこともあるのですが、技術に対してガチみたいなコンセプトを捨ててしまったらそもそも私達の存在意義がなくなってしまう。だからそういうのは守っていこうぜ、みたいな。そういう思いや価値観を共有できていたんじゃないかと思います。

Developers.IOが年々規模を拡大していくのは大変ありがたいんですが、一方、私にとっては理不尽なくらいのプレッシャーがあり、継続については毎回めちゃくちゃ悩んでいろんな人に相談をしていました。当然、あいつにも相談するんですが、返ってきた答えは
「続けてくれよ。これがなくなっちゃうのは寂しいぜ」
でした。この悩みは誰に相談しても「続けるべき」って言われるんですが、イベントのトーンを決定づけた本人が「やめてもいいぜ」って言うことなく去ってしまったので、もう続けていくしかないんだろうな、と。

エピソードは他にもたくさんあって、魚ランチを毎日食べ続けてどっちが先に音を上げるかとか、TMネットワーク縛りカラオケとか、ギターの練習アプリでお互いのスコアを塗り替えて通知を飛ばし合って
「うるさいわー!」
「そっちが先に飛ばしてきたんだろー!」
ってチャットで言い合ってみたりとか。

それと、一緒にやりたかったことがいくつかありました。私が企画してあいつが技術書を執筆するとか、アーキテクトとしてのノウハウを動画にして残すとか(5時間必要らしい)、おっさんバンドをやろうぜとか、いろいろあったんですが、実現できなかったことを本当に後悔しています。特に技術書と動画を作れていれば、残された人たちにも嬉しかったはずなのに。こうなってしまったが故に後悔の念は増します。
こんなにも人を後悔させて去っていくことについて、本気で
「なんでやねん!」
って言いたいですね。そしたら本人がニヤニヤ笑いながら
「騙されたw?」
「ねぇ騙されてどんな気持ちw?」
とか言いながらあらわれそう。脳内再生余裕です。

たぶんthee michelle gun elephantは好きじゃなかったと思うけど、一緒に買いにいったギターで「武蔵野エレジー」をジャカジャカ弾きながら(弾けてないんだけど)、そして余市蒸留所で買ってきたウイスキー(こいつにもエピソードがある)を飲みながら、楽しくもカオスな日々をふりかえりたいと思います。



このエントリーの最後に。
親友よ、この先もずっと親友だから、ありがとうもさよならも言わねえよ。

2020年2月13日木曜日

ノムさんについて思ったこと

ノムさんを初めて知ったのは「燃えろ!プロ野球(通称:燃えプロ)」だった。名球会チームの代打にいて、父親に「このノムラって選手は誰?」って聞いたら「選手兼監督で王の次にホームランをたくさん打った選手だ」って教えてくれた。なので、私のノムさんに対する第一印象は「伝説のスラッガー」。きっと秋山や清原のように背が高くてすらっとして強そうでカッコいい選手なのだろうと想像したが、後に本人の姿を見たらたぬきおやじの形容がぴったりなおっさんだった。小学生だった私の想像はあてにならないことを学んだ。

次に注目した機会は92年の日本シリーズ。私が応援する西武ライオンズに立ちはだかるヤクルトスワローズの監督としてあらわれた。これまでに対戦したセ・リーグのチームと違って、粘り強く、簡単に崩れず、あの手この手の策をつかって接戦に持ち込んでくるヤクルトはものすごく手強く感じた。幸い92年は西武の方がちょっとだけ上手くやれたから勝てたのだけど、翌年はさらに成長したヤクルトにリベンジを果たされた。西武ファンの私はものすごく悔しい気持ちになったし、当然、ノムさんに対しての印象はものすごく悪かった。
とはいえ、弱小ヤクルトを競合チームに育てたノムさんは、伝説のスラッガーから伝説の名監督になっていった。

数年後、そんな名監督の講演会のチケットを母親からもらった。森さんの講演会だったら良かったのにと思いながら、幼なじみと一緒に聞きに行った。しかし、ノムさんの話はめちゃくちゃおもしろかった。今でも強烈に覚えている。私も人前で話す仕事がちょいちょいあるが、このときのノムさんのスタイルは無意識的に真似をしているのかもしれない。似てないとは思うんだけど……。

「長嶋のことを勘ピュータっていうけど、実は私も同じ。ID野球とはいうものの、データは参考情報であり最終的には勘で決めている。データは勘の精度を上げるのに役立つ。」

こういう話を若いうちに聞けたことは良かった。データは大切なんだけど、データ化できないところにも大切な情報があり、それらをひっくるめて意思決定をしなければならない。ゆえに現場にでて現場勘を鈍らせないってことは大切なんだよ、っていうのは今やっている仕事でも同じ。

しかし、そんなありがたい話以上に印象に残ったのは、南海の入団テストのエピソード。

「実績もなく体格にも恵まれない私には合格は難しいように思えた。最後の遠投にいたっては規定となる距離には届かない。日も暮れかけたころ、遠投のテストで試験官の先輩が「前に出て投げろ」と言った。自分の耳を疑ったが、思い切って5mほど前にでて投げたら規定の距離を超えなんとか合格となった。当時の南海はブルペンキャッチャーに欠員がでていて、誰でもいいから合格させろってことだったのだと思う。私は運がよかった。」

いろんなものごとは、やってみなきゃわからない。やってみたら上手くいくかもしれない。打席に立たなければ出塁することはないし(代走っていうツッコミはスルーさせていただく)、チームに入れなければ打席にすら立てない。
こんな経緯で入団した選手が、本塁打王を何回も獲得して三冠王まで取るような大打者になるなんて誰が予想できたんだろう。

そんな大打者にして大監督はライバルであるミスタープロ野球こと長嶋さんに対して愛憎入り混じったジョークも言う。

「長嶋はなんでも奥さんにお伺いをたててね、彼は奥さんがいないと何にもできんのです」

このエピソードを父親に話したら「お前もだろ」と言って笑っていた。ツッコミまで勘案してのジョークだったのかもしれない。ノムさんはおもしろかった。ノムさんはとても人間臭かった。

講演会がきっかけでノムさんの著書を何冊か読み(もちろん森さんの著書も何冊か読んだし、落合氏の本も読んだ)、そのおかげで野球だけでなくスポーツをより楽しめるようになった。私は、マネジメントの考え方についてはノムさんと森さんの考え方を参考にしている部分がある(あとはパトレイバーの後藤隊長と内海課長)。ノムさんは「本来、監督なんてものはニコニコ笑ってれば良くて、細かいことを口うるさく言うようなもんじゃない。こういうのはコーチの仕事。俺が口うるさいのはコーチが未熟だから(笑)」と言っていた。指導育成を重視していたノムさんらしい、このコメントもコーチたちに向けて言っていたんだろうな。

その後、ノムさんは阪神の監督やったり、社会人野球の監督やったり、楽天の監督をやったりして長いこと野球の現場に居続けた。同年代の野球人で最後まで現場で仕事をし続けたんじゃないだろうか。昨夜観てたテレビ番組によると高校野球の監督をやりたかったらしい。どんだけ現場が好きなんですか。

そんなノムさんが一昨日なくなられました。最近はブログを書く時間もとれず、そもそも私以外の誰かがとりあげそうなテーマについては書かないと決めていたので、著名人の訃報について書くのはあんまりしないんですが、私の人となりに少なからず影響をあたえた方であり、思い出もたくさんあったので書かずにはいられませんでした。

ノムさん、ありがとうございます。

(記事中のノムさんのコメントは私の記憶を元にして書いているので事実と異なるところがあるかもしれません。本来なら裏をとるべきですが、私の記憶にどう残っているかを書きたかったので、あえてそのまま載せています。)

最後に、ちゃんと裏もとって書かれたすばらしい記事のリンクを掲載しておきます。




2019年9月14日土曜日

「スティーブズ」おもしろいよ「スティーブズ」

「スティーブズ」



「スティーブズ」にまなぶ「やさしい現実歪曲空間」とマネジメント

ジョブズといえば、有名なエピソードに現実歪曲空間がある。
イメージ的には強引な論法でディベートに打ち勝っていく、プレゼンで最高のパフォーマンスを発揮する、といった感じ。
作中、そのように使われることもあるけど、印象的だったのは自分のチームに対して発揮されるときで、チームのメンバーにできると信じさせている。
できるとおもってない仕事は簡単でもできないし、難しくてもできると信じていればできちゃったりする(絶対ではない)。
人に何かをしてもらうときに、できるとおもわせるということは大事だよね。
これは、マネジメントとして必須のスキルではなかろうか。これを私は「やさしい現実歪曲空間」だな、と思った。
やさしい現実歪曲空間は疲れる。頭はフル回転し、当事者の手助けをしなくてはならない。できそうだというメンタルモデルを作り上げなければいけない。
疲れるし手間かかるし時間もかかるけど、難しい課題を乗り越えていく仲間を見ることは本当に喜ばしい。

2016年12月25日日曜日

『その「エンジニア採用」が不幸を生む』読了

『その「エンジニア採用」が不幸を生む』読了。

本の中で問題とされていた「ITリテラシーが低い社長がITプロジェクトを推進する」とか「技術のわからない人事が募集要項を勝手に書き換える」とかは遠い国の出来事のようで、いまいち頭にはいってこなかったけど、第4章、第5章は数字も提示されててなるほどー!と思えるところがたくさんあった。
それとあとがきの「特に、エンジニア採用の母集団形成は、マーケティング業務と同じく深い洞察力と創造性が求められる分野です。」については激しく同意なのでありました(付け加えるなら、採用プロセスを進めるにあたっては営業のスキルが必要)。
いやー、読んでよかったッス。

2016年1月5日火曜日

発動機を動かすこととビジネスモデルについて

20年近く前の話。

親戚の畑を手伝った時に、水を撒くのに発動機を動かさなければいけなかったんだけど、これが難しくて全然動かない。伯父さんは「この紐を引っ張れば動く」と教えてくれて、彼はいとも簡単に発動機を動かすのだけど、私がやるとちっとも動かない。力を入れてもダメ、早く引いてもダメ。でも何回かやるうちに、上手くひっかかる?引っ張り方みたいなものがわかってきて(一定の力をかけつつ、引く手は徐々に早くする。これを一瞬のうちにやる。わかります?)、いちおうできるようになった。

頭でわかってても、それを実際にできるかどうかは別の話ですよ、ということ。

で、なんでそんなことを思い出したかというと、ビジネスモデル云々の話を最近みたからだ。

ビジネスモデルとは「紐をひっぱれば動く」を説明しているだけで、本当にビジネスができるかどうかは、失敗も含めた試行錯誤の結果「上手くひっかかる?引っ張り方みたいなもの」を会得する必要がある。
これはどちらが大事かという話ではなくて、どっちも必要なものだと思います。

2015年11月15日日曜日

寛容と適度な無関心

何を言うのも自由ですが、今の世の中に足らないのは、寛容な心と適度な無関心ではないかと思います。他人は他人です。他人の人生にどれだけの責任を持てるのか? そう思ったら、適度に無関心でいる方が楽だし、小さなことは寛容な心で受け入れるでも受け流すでもいいんじゃないですかね。