Facebookで翔泳社・岩切さんから「こういう企画あるけどどうですか〜?」というご連絡をいただいたので、申し込んで読んでみました。
・読む前
・読み終わった後
読んで印象にのこった箇所を書き出すとこんな感じです。
- はじめは謙虚なしもべとして、私を楽しませてくれていたツールが、いつのまにか私の生活の大部分を支配する横暴な主人に変貌していた。このまま毎晩、夜遅くまでネットサーフィンし、数分おきに電子メールをチェックし、毎日のように十二時間勤務し、肌身はなさず通信機器を持ち続けていたら、健康も、幸せも損なわれてしまうだろうと、私が気づいた。
- 問題は、ツイッターやフェイスブックそのものにあるのではない。それらはそのままでは害にも益にもならない。
- 「創造性や、洞察力や、想像力や、人間性の核となるのは、ひとつのこと──アイデアでも、思索でも、相手でも、そのほかどんなことでも──に集中する能力だ」
- 「わたしの携帯電話が鳴っている。ぜったいに出なくては! 無視することは許されない」と条件反射的に電話に応じるか。それとも電話が鳴ったとき、自分に選択権があること、自分がテクノロジーの主人であることを思い出して、次のように考えるか。「今、いちばん意識を向けるべきは何か?」
- 互いにつながっているのは、テクノロジーのおかげである前に、互いのあいだに絆があり、いっしょに時間を過ごそうとする意思があるからだとわかっている。
- どれほどストレスが大きくなるかは、To-Do リストの多さより To-Do リストの扱いかたで決まるのだと、私はこれらの友人を見て気がついた。自分がいかに忙しいかという物語を自分でつくって、その物語にみずから夢中になることのほうが、さまざまな仕事を実際にこなすよりも、はるかにストレスの原因になりやすい。
- 幸せを感じるかどうかは、何をしているかではなく、そのときの行為にどれだけ意識を向けているかにもっとも大きく左右される
- 「電子メールに作業を中断された人は、ふたたびその作業に戻るまでに平均で16分33秒を要する」
- しかし人生とは、あくまで「今ここ」の積み重ねでしかない
- しかし静寂が雑念を生むわけではない。静寂によって雑念があらわになるだけだ。だから、喧騒の中に身を置くことで雑念を聞こえなくしても、雑念の影響は取り除けない。わたしたち目は雑念に曇らされたままだ。
- 何をするにも、その反対のことを知らなくてはならない
- いいコンピュータプログラムを書くためにはコンピュータプログラムを書かないことを、デザインするためにはデザインしないことを、文章を書くためには文章を書かないことを知る必要がある。
- おおらかに構えないと、どんなに「よい」状況もすぐに「悪い」状況に変わる。何ごとにも満足できないせいだ。
- 「他者を知るのは知性であり、自分を知るのは真の智慧である。他者を律するのは強さであり、自分を律するのは真の力である」(老子)
- きっと失敗すると思っている商談では、成功のチャンスがあっても、わたしたちにはそれが見えない。そういうことを受け入れないレンズでものを見ているからだ。なぜそうなるのか?失敗に終わるという結果にアイデンティティーが支えられているので、成功のチャンスが見えたら、アイデンティティーが崩されてしまうからだ。だから、わたしたちは、少なくとも、わたしたちのエゴは、成功を許そうとしない。失敗に終わることでアイデンティティーが保たれ、先入観はさらに強められる。
- ツイッター社の共同創業者エヴァン・ウィリアムズは、決めつけないことがいかに大事か、自分の無知を認めることがリーダーとしていかに必要かを語っている。
- 考えそのものが争いを引き起こすわけではない。自分の考えに執着したり、自分の考えを守ろうとしたり、他人の考えより自分の考えのほうが優れていることを証明しようとしたりするときに、争いは生まれる。
- 会話には本来、正しいもまちがいもないし、勝ち負けもない。単に互いの意見が異なるだけだ。自分の考えを伝えることは大切でも、自分の考えに執着したり、自分が正しいと思い込んだりすると、争いが生じる。実際に、こちらが意見を強く主張するほど、相手からも強い調子で言い返される。その結果、衝突し合って、言い争いに発展する。
なんとなく、自分の人生を振り回す要因ってたくさんあるけど、意外と自分でコントロールできるもんじゃないかね、みたいなことが言いたかった本なのではないかと思いました。
以上です。
0 件のコメント:
コメントを投稿