2012年7月25日水曜日

アジャイルジャナイマーケッター




良いこと書いてあるんですが、マーケティングとしては当たりな気が……。
ただそれをアジャイル原則にかぶせて上手く書いてみたところが素晴らしいと思います。(普段うっすら考えていることを見事に言語化されてちょっとくやしいです)

しかし、何故「アジャイルマーケッター」なんて言葉がでてきたのかを考えてみました。つまり「アジャイルジャナイマーケッター」がいるのだろうと(安直な決め付け)。

  • 仮説1「マーケティングは仕事の成果が検証しづらいが数字で責任をもたされる」

まず、マーケティングの仕事はほとんどの場合、数字で責任を持たされます。リードの数、コンバージョン、サイトのPVもあるかもしれないし露骨に売上になることもあります。何かしら数字を目標にするわけですがそのほとんどは仮説です。仮説から仮説を生み出すなんとももやっとするような仕事をしていたりします。スッキリハッキリした数字がでることもありますが、その数字に至った過程においてマーケティング活動がどれほどの効果をもたらしたのかはなかなかわかりません。

  • 仮説2「マーケティングだけでビジネスは成功しない」

前段にも記述しましたが、ビジネスの成功不成功はマーケティングのみで決まるとは限りません。製品やサービスを企画して、調査して、設計して、製造工程考えて、仕入れ・調達の手配して、実際に作って、物流も手配して、実際に売ってみて、得る前にどうやってアピールするか考えて、アピールを実行して…、とつまり組織の多くの部署にまたがりかつ社外にも多くのステークホルダーを巻き込んで回していくわけです。これはマーケティングの担当者が一人くらいでがんばったところで成功を約束することはできません。よくApple の成功はスティーブ・ジョブズの類まれなるセンス(おそらくデザインとかマーケティングのことだと思う)によってもたらされたという人がいますが、それは正しくもあるんだけど、発売しているデバイスが総じて価格見合いで安価ですよね。あれは調達から始まるサプライチェーンが極めて上手く回っているからできているのであって、発想力だけでなんとかなっているものではありません。

仮説1と2より、マーケティングの仕事は数字責任はあるもののその根拠ははっきりせずしかもマーケティングだけでビジネスが成功するとは限らない、と書きました。ある意味、誠実に仕事をしようとしたら絶望的な状況なわけですが、マーケッターだって生きてくためには食べなければいけないし食べるためには稼がないとならんわけです。しかし仕事の成果は保証できない。そうしたらどうしますか? そこで「アジャイルマーケッター」のエントリーにチラチラでてきた重厚長大なマーケティングというのが登場するのだと思います。ハッキリとした成果が得られるまでに1-2年かかる計画や施策なら、少なくともその間に解雇されることはありません。つまり

  • 仮説3「アジャイルジャナイマーケッターは保身のために壮大な計画を立てる」


わけです。一度、経営陣の承認をもらっちゃえばチョロイですね。1年目いまいち、2年目がんばってみろ、3年目これが最後のチャンスだぞ、って言われても3年は在籍できるのですから。

ちょっと話が変わりますが、個人的にはマーケティングの専門家っていうのはありえるんだろうか?と思っています(私の肩書きはマーケティングだけど)。大手の企業でマスマーケティングなんかやっている人はそういった専門知識や技術があるんでしょうけど、中小企業でマーケティングをやっている人はマーケティングの知識もそこそこにビジネスドメインの知識をしっかり身に付けることが大切です。
恐らく「アジャイルジャナイマーケッター」はマーケティングのプロセスばかりが気になってしまい、実際に目の前にいる顧客や自社のスタッフを見ていないのではないか?と思うことがあります。理解しようともしていないというか。マーケティングの専門家ではあるかもしれないのだけど、そのビジネスドメインの専門家ではないわけです。「専門性なきマネジメントは無力」であるように、専門性なきマーケティングも等しく無力です。(それ以外でも、マネジメントとマーケティングは似ていると思う)

マーケティングは範囲が広く人によっても解釈が異なったりしますが、ある意味、ビジネスにかかわるほぼ全部とも言えます。当然、一人でやりきることは難しいでしょうから、ありとあらゆる手段をつかって関係者の協力を得てビジネスを動かしていくわけです。その際、その「協力を得る」ができなかったり、やりかたに問題があったりすると、「アジャイルジャナイマーケッター」になるのかもしれません。




多分ね。

2012年7月20日金曜日

「君(おっさん)、なにか危うくないか」の話について


「君(おっさん)、なにか危うくないか」の話について、他者からの承認欲求が満たされていないから発生するという仮説をたてると、その承認欲求を満たすサービスを作ればおっさんも若者も嬉しいわけであり、手っ取り早く任意に設定した年齢(自分の年齢+10とかね)を上回る人のポストに対して「いいね!」を押すFacebookアプリなんかあったらいいんではないかと思いました。

それはおいといて。

過去の経験に基づく説教は、その根拠が本人の中にしか存在せず、聞いている側は妥当性を問うことはできない(目上の人であれば尚更)ので、そういう話は「1日1回」とか回数制限を設けて使用されるのがいいんじゃないかと思います。
ウェスタン・ラリアットが必殺技だからって、ずっとウェスタン・ラリアットばっかりやってたら「しょっぱい」でしょ。

若者のために何かを気づいて欲しいと思うなら、まずは若者のコンテキストを理解することに注力する方がいいし、そのためにはじっくり話を聞いてみたらいいんじゃないでしょうか。というわけでひがさんのエントリーにはとても納得した次第です。

2012年7月19日木曜日

見慣れない形状に「クソデザインが」と言う前に、何でそのようになったのか制作者の意図に思いを巡らせる


サービスやプロダクトのデザインがリニューアルされるとだいたいにおいて「使いづらい」「改悪」「元に戻せ」「iPhoneを見習え」みたいな意見が続出したりするわけですが、ダメだと言う前にちょっとぐらい何でそうなったのかを考えるのは悪くないと思います。

先日、エアコンを使わない主義の我が家(金がないともいう)で東芝の扇風機を買ったのですが、Amazonのカスタマーレビューを見ると「だいたい良いけどリモコンの収納方法が残念」とありました。たしかにアクリルでできたリモコンケースをフックで扇風機の柱部分にひっかけるだけの作りはちょっと雑なように思えました。が、しかし、よくよく考えてみるとリモコンって本体と離れたところで使いますよね。つまり、本体にアクリル製リモコンケースを装着するシーンはそんなに多くはないはずです。むしろ、簡単な作りのリモコンケースだからこそ、ご家庭内の好きなところにちょっとした工夫で設置することもできるでしょう。意外と合理的なデザインなのかもしれません。

一見、残念に見えるのだけど、ちょっと考えてみると悪くないかも、と思えることは多々あります。この扇風機の場合はもしかしたら設計者はユーザーの利用シーンまで想定した上で、リモコンは本体にキレイに収納されるよりも離れたところで気軽に設置してもらう方が、ユーザーにとって利便性が高いと考えたのかもしれません。あくまで推測ですが。
(しかし本体コンソールに比べてリモコンそのものの作りがチープなのでたまたまなのかな?)

正しく「デザイン」をしているのであれば、そこにはユーザーに対するデザイナーの意図が存在します。その意図を汲み取ってみると、意外といいじゃんということはあるかもしれません。逆に言うと、私たちは何かをデザインする際にユーザーに対して必ず「意図」もつべきだということです。何となく良さそうだからとか、これはそういうものだから、ではなくて。




多分ね。

2012年7月17日火曜日

「How to Change the World 〜チェンジ・マネジメント3.0〜」を読みました。


「How to Change the World 〜チェンジ・マネジメント3.0〜」


ryuzee.com の @ryuzee さんからのいただきもの。とても面白かったのでイッキ読みしました♪ ありがとうございます!
そして、夏休み前の読書感想文をつらつらと。

1. マネジメントのプラクティスにも流行り廃りがある

もしかすると、マネジメントとは普遍的で一度身に付ければずっと使えるものと思っている人は多いかもしれません。それは根底の部分ではそうであるのだけれど、プラクティスに関しては流行り廃りがあります。
 同じように、20 世紀に私たちが変化を起こしてきたやり方も、失敗しつつある。かつて導入されたような、トップダウン方式で承認手続きが 8 階層なんていう変更プログラムはすでに信頼性を欠いている。ましてやそれが、本当に必要とされるものや、人々がそこに在りたいと望む有意義な未来を作り出してくれるものだなんて、誰も信じていない。
(前書き より)
大雑把な言い方をすると、20世紀型のマネジメントプロセスはその過程を如何に詳細に切っていくかに焦点が当たっていたように思えます。言い換えると、誰がやってもだいたい同じような結果になることが重要視されていました。しかし、ユーザーかデベロッパーかを問わずアジャイルなプロセスや考え方が普及しつつある今、そういうやり方は今の世の中に合っていないことがなんとなくわかると思います。
しかし、「過程を詳細に切っていき」、「誰がやってもだいたい同じ結果が得られる」は段取りとして考えたら間違ってはいません。
「ようし、お前ら好きにやっていいぞ!」
で上手くいくなら誰も苦労はしないわけです(関係ないですけど、スポーツマスコミはこういう自由放任主義のチームを取り上げたがり、根底にある規律には目も向けませんね。彼らの仕事に対する考え方がうかがい知れて興味深いですね(棒。)。
「How to Change the World 〜チェンジ・マネジメント3.0〜」は20世紀型のマネジメントプロセスから見たら守破離の離に相当するし、21世紀型のマネジメントプロセスとして見たら守破離の守になるのだと思います。故に「3.0」と付いているのは何となく納得できたりします。

2. 上手くいくかどうかは、プラクティスの問題だけじゃない

多くの人が経験をしているのかもしれませんが、マネジメントに関する知識を身に付けて何らかのプラクティスを現場で実践する際、導入直後はなんとなく上手くいっている気がするんだけど時間が経つとだんだん上手くいかなくなって、そのうち形骸化してしまう。これはだいたいにおいて元に戻ろうとする強い(現状維持を望む)モメントが発生するのですが、当事者たちは勘違いをしてプラクティスがイケているイケていないと思ってしまうのかもしれません。しかしその場合に問題となるのはプラクティスの良し悪しではなく、一旦取り入れた手法をどう定着させていき、その過程で発生するあらゆる障害をどのように乗り越えるかが重要であったりするわけです。この「どう乗り越えるか」について、つまり関わる人々にどのように働きかけ、巻き込み、一連の過程を連続させつつ改善ループを回していくのかが、本書の最も大事なテーマであり、マネジメント3.0の所以であるのではないかと思うわけです。

以下は、気になったポイントの抜粋です。電書(PDF)だとテキスト抽出が楽で良いですね♪
  • システムとダンスをする
検査と適応(そして予想と探索)
PDCA
  • 人を気にかける
ADKAR モデルは、次の 5 つのディメンションがある。
1. 変化する必要性の 認識(Awareness)
2. 変化に参加し、変化をサポートしたいという 欲求(Desire)
3. 変化させる方法(および変更がどのようなものか)の 知識(Knowledge)
4. 日常的に変化を実際に起こす 能力(Ability)
5. 起きている変化を継続するための 補強(Reinforcement)
  • ネットワークを刺激する
イノベーションの普及曲線
  • 環境を変える
「4+1のI」
Information 情報:現在の振る舞いからもたらされる結果について気づきを与えるための情報ラジエーターを使う。 Identity アイデンティティ:より上位のアイデンティティ(例えばコーポレートアイデンティティ)をアピールすることで、一緒に働くことの必要性を感じさせる。
Incentives インセンティブ:よい振る舞いに対して、褒め言葉や感謝のような形で、小さな褒賞を与える。
Infrastructure インフラストラクチャー:人々のまわりに作り上げたツールやインフラストラクチャは人々の振る舞いに重大な影響をあたえ、振る舞いのガイドとなる。
Institutions 組織:よい行動の基準を提供してくれる実践コミュニティや非公式の組織を紹介する。

3.まとめ

私は本書に対して、ベテランのマネージャー、経験の浅いマネージャー、これからマネージャーになる人はもちろん、マネジメントにまったく興味がない人も読むべきだと思います。何故か? それは「あなた自身をマネジメントするのは誰ですか?」という話であり、役職がなんであろうと生きて行く上で必要になる大切な技術だからです。決して人任せにしていいことではないし、仮に役職上マネジメントは別の人の担当であるとしても、その基礎的な知識もなければ上手くマネジメントされることもないと思うからです(私も身に覚えがありますが、学生のアルバイトと仕事するのは大変ですよね。当時の上司にごめんなさいと言いたい)。
そして、21世紀型のマネジメントプロセスでは、人に働きかけたり巻き込んでいくことがこれまで以上に重要となります。
ほとんどの人は他人に影響を与えたり組織を変化させたりするのがまったく得意ではない。しかし真剣になれば、より効果的なチェンジ・エージェントになる方法を学ぶことができる。(序文より)
くどいようですが、あらゆる人に一読をオススメします。

2012年7月10日火曜日

コミッショナーからのメールで思ったこと

NFLのメルマガを登録していると、シーズン開幕とかの大きなイベントや、ファンや関係者に対する重要な発表はコミッショナー名義でメールがきます。もちろん、配信システムを使って一斉に送っているのだろうけど、送る人の名前がちゃんと入っているっていうのはとても良いと思います。そのメールを受け取った人にとっては。
だからというわけじゃないですが、うちから送るメールに関しては「担当者」と匿名にせず私の名前と私のメールアドレスで送っています。私が送ると決めてやっていることだから、そこに私の名前がないのは失礼じゃないのかと思うわけです。


マーケティングというのは往々にして、マス向けの派手なPRが仕事の大半であるかのように思われることが多く、そのように考えて仕事をしている方もたくさんいらっしゃるでしょう。それはそれでマス・マーケティングの専門家としては良いのだと思います。しかし、私がやるべきマーケティングはそうではないと考えております。お客様とはなるべく対面で接して、お客様の声に耳を傾けて最適なサービスやソリューションを提供できるようにすることが大切だと考えています。マーケティングと言えども現地・現物・現人主義です。


そんなことを思いながら、いただいたメールに一通一通お返事をしたためているわけです。