アメリカンフットボールにおける花形ポジションといえばクォーターバック(以下:QB)だ。
アメフト知らない人手もQBは知ってたりするし、私らぐらいの年(30才以上)だったら「ジョー・モンタナ」が三菱のテレビのCMで「どんな、モンタナ!」って言っていたことぐらい覚えている。
QBはオフェンスチームのリーダーでありマネージャーだ。相手ディフェンスの様子を見て、どうしたらオフェンスチームが効率よく得点を出来るかを考えプレイする。手堅くランニングバック(以下:RB)にボールをもたせてじわじわ攻める、テンポ良くパスを投げて攻める、時には自分自身がボールキャリアになって単身突破を図る。オフェンスにおけるあらゆる選択肢がQBに委ねられている(といってもプレイコールはベンチからでることが多いが)。
パッと見ると、パスを投げてたまに自分で走るので、パスを投げるのが上手ければ務まりそうな気がする。足が速ければ尚良しだろうか。もちろんパス能力に秀でたところがあれば、個人成績として良い結果がでる。足が速ければQBだてらに○○ヤードも走った、と評価される。しかしアメフトの世界では、個人成績だけが優れているQBの評価はある一定のラインでとまってしまう。良いQBかどうかは勝てるQBかどうかで決まるのだ。チームが勝つには自身の能力だけではなく、チームメイトの能力も引き出さなければ勝てない。アメリカンフットボールは個人の能力だけで勝てるような仕組みにはなっていない。
チームメイトの能力を引き出すにはどのようにすればよいのだろう。ベンチからのコールを正しく伝える。味方を鼓舞する。時には叱咤する。チーム全員の共通の目的である「勝利」をつねに意識し、そのために振る舞う。リーダー兼マネジャー的な能力が求められ、ときにはコーチングの能力も必要になるだろう。アメフトの世界ではこれを「クォーターバッキング」という。ちなみにこれは私の解釈であって、異論を言う人もいる。クォーターバッキングの正体はまだ解明されていない。少なくとも数値化できるようなものではない。もし数値化できるのであれば、それはチームの勝利数ぐらいかもしれない。
仕事において、単純に○○の作業ができる、○○を知っている、○○の経験がある、だけでチームを構成しても上手くいかないことがある。とくにチームで仕事をする場合。メンバーは適正な人を揃えたつもりだが、なぜか期待する結果がでない。何故か。それはそのチームにクォーターバッキングをする人がいないからだろう。チームは個の集まりにすぎず、同期もとれず、下手をすればちぐはぐな動きをして、終わってみればみんなががっかりする結果しか得られない。
なんでこのようになるのだろう?
それは成功要因を数値化できるモノゴトだけで判断するからおこる。
本当に素晴らしい仕事というのは、そんなものだけでは構成されない。
チームに適切なリズムを生みだす。失敗をしても誰もメンバーを責めたりしないことをキッチリ宣言し安心をしてもらった上でベストを引き出し、ちょっとくらいへまをしてもオレが何とかするよという優しさをもつ。関わりのあるチーム外の、それは組織の上司や顧客、ビジネスパートナー、いろいろあるだろうが、そういった人達からの疑いや厳しい視線は自分に集め、メンバーをリラックスさせ最高のパフォーマンスをひきだす。当然、時には厳しい非難の矢面に立たされることもある。それが何だと言うのだろう? 損な役割か? いいや、違う。メンバーはそれぞれのポジションで最高の結果をだすべく一所懸命に頑張っているのだ。もしかしたら自身の能力を超える難しいことにチャレンジをしているのかもしれない。そんなメンバーが外からのつまらない視線や声に晒されることなくそれらの役割を買ってでて、チームのために働く。そして上手くいったら、チームメンバーに最高の賞賛を贈る。みんなのおかげで成功したと伝える。これが仕事におけるクォーターバッキングだと思う。
スクラムにおけるスクラムマスターというのはこれに近いのだと思う。そう言う意味では正体不明なクォーターバッキングにある一定の形をもたせたともいえるのでスゴイ。故に私はスクラムが好きだし興味がある。
現代において、とくに間違った成果主義が横行しているような組織では、こういった働き方は損をするかもしれない。いなくても十分まわると勘違いをされることもあるだろう。しかしそんなものは間違いだ。目に見える数値だけでモノゴトを判断してるようでは、ほんとうに大事な成功要因を見失う。誤った判断は時間が経ち、すでに取り返しが付かなくなったときに顕在化する。その時になってあれこれやってももう遅い。
多分ね。
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