半年くらい前までは気恥ずかしいというか、厨二病扱いされるのを恐れてというか、そういう感じで言わなかったのですが、私にとってはあらゆるモノゴトはデザインの対象物であり、そのモノゴトに関わる人を意識するべきである、とか思ってます。
ふわっとしてますね。
でもそういう感覚。
プレゼンで使うスライドはもちろん、私の立ち振る舞いや喋り方もデザイン対象。聴講者にどう伝わるか、ひいては主催者にどのようなメリットをもたらすことができるのか。
契約書も当然。その条件の記述の仕方で、契約の当事者とそれに関わる多くの人に影響を及ぼす。言い換えると、その契約書には利用者が存在する。だからデザインする感覚。
マーケティングだってそういうものじゃないのかなあ、と思ってます。
結局、自分の主張をするだけでは何ら上手くいくことはなく(自分の中だけなら上手くいってるように思えるんだろうけど)、関わる人様の内面の変化や自分との関係性の変化などなどを可能なかぎり想い巡らせ、その上でなるべく多くの人に効用をもたらすあり方を探る…、そういう気持ちです。
しかしそういうデザインは最初から上手くいくことはめったになく、不完全なモノゴトを根気よく観察し、時には修繕し、愛でていくような感覚があって、それでようやくスタートラインなんじゃないのか、と。
浅慮な意思決定やエゴの排除が私にとってのデザインなのかもしれません。
なんだろう。まだふわっとしてる。
デザインとは目に見えるものだけが対象ではなく、モノやサービスを通じて人の有り様がどのように変化するのか、それは内面の、心の変化という決して目に見えることがないものもデザインの対象であり、むしろその目にみえないものの方がデザインという行為の本質なのではないかと。
多分ね。
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