2013年6月13日木曜日

フラットへの妄想をダンプ

ちょっとビール飲んで気分が高揚してるので妄想を。

フラットは今の技術が平面上でなんとかしてるだけのものであることを明らかにしたのだと思う。今の3Dはほとんど擬似で、結局、ディスプレイが平面である以上、それに対してどうにかするしかない。これはフラットであろうとデスクトップメタファーであろうと一緒。両者の問題の本質は基本的には一緒だと思う。

インターフェースは一足飛びには進化できない。3つの要素があって、入力装置、出力装置の技術的な進化とユーザーの理解が必要。技術的にすごくてもユーザーが理解できなければダメだし、出力装置による表現がよくなっても、入力装置がそれに対応してなければ大して意味ない。

フラットが平面であることの限界を明らかにすることに意味があって、これでようやく次のカタチへ進化するとっかかりができたのだと思う。そういう意味ではiOS7は上手いと思う。傾けるとアイコンと壁紙の位置が微妙にずれるのとかいいきっかけだとおもうし、Safari のタテ方向のカバーフローみたいのは書庫にはいっているファイルみたいで、奥行きの概念を意識付けるいいきっかけだ。

そう。奥行き! 奥行きをもった情報を上手く表現することなんて誰も出来なかった。

ディスプレイに描画されたものを「まわりこんで見る」ことで違った面が見える。そんなのいままでなかったでしょ。だって所詮擬似だから。平面のディスプレイという制約下の世界だから。でもスマフォで傾きを検知することで、そういう使い方へのとっかかりができた。iOS7はそれを気づかせた。だから、正直スゴイと思う。

で、いまネット上にあるフラット批判ってちょっと違うと思う。フラットって欠点を明確にするものだから。フラットとデスクトップメタファーの欠点って根っこのところは同じだから。これは今の入力装置、出力装置の制約と、ユーザーの理解の限界を認識させるためのトレンドだと思う。でもこの限界を正しく理解することで、インターフェースはもっと進化すると思う。

という妄想でした。おやすみなさい。